『観無量寿経』というお経の冒頭の場面で、お釈迦さまがマガダ国の王妃韋提希(イダイケ)に言い放った言葉です。
王妃になんてことを…と思いますが、彼女に自身の驕りに気付かせるためには必要な一言だったのです。
長渕剛さんの「RUN」の歌詞にこうあります。
なるべくなら なるべくなら
嘘はない方がいい
嘘は言わない そう 心に決めて
嘘をつき続けて 俺生きている
私たちは日々嘘をつき、人の心を傷つけ、怒りや欲にまかせて罪や悪事を重ねながら迷いの生活を送っています。このような煩悩にまみれ、物事を正しく見る智慧の眼を持たない者のことを凡夫といいます。
阿弥陀仏という仏は「あなた凡夫ですね。どうぞお引き取り下さい、修行してから出直してきてください」とは言いません。むしろその逆です。このようなどうしようもない私たちを「放っておけない!」と、仏の方から手を差し伸べてくださる、そんな慈悲深い仏が阿弥陀仏という仏なのです。政治・歴史学者の中島岳志さんは「阿弥陀仏の救いの力はIt’s automaticであり、不可抗力だ」といいます。阿弥陀仏にとっては、私たちが修行しようとしまいと関係のないことなのです。その思いに気づいた時、私たちは「南無阿弥陀仏」と称えていたらいいのではなく、もう称えるしかないのです。