なんだかじひじひしております。そもそも慈悲(じひ)とは仏が人々の苦しみを取り除き、幸福を与えることをいいます。今では「慈悲深い」という言葉にあるように、思いやりをもって相手に接して、何とか力になってあげたいという温かい心遣いを表します。
自分の心の中で「私は“慈悲”をしている」という意識、なにか私はエエことをしているという自負、心がけのようなものが働いているうちは「おぬし、まだまだよのう」なのであります。見返りや下心はもってのほか。もはや意識の内から、“慈悲”の心が消え去ったときに、「おぬし、仏に近づいたのう」となるのであります。
心がけさえも危うい今の私たちにあって、まず心がける、意識をもつ、そして実際行動にうつす、さらには無意識の行動となる境地に至るには、まだまだ修行、鍛錬が必要なようです。
心も行いも日々爽やかに。
